昭和な原付バイク
ヤマハ発動機とホンダ。1980年代にオートバイの過激なシェア争いを繰り広げた”因縁”
の2社が手を組んだ。ヤマハは10月5日、2018年をメドに排気量50cc原付バイクの自社
生産から撤退し、ホンダからOEM(相手先ブランドによる生産)による供給に切り替え
る方向で検討すると発表した。ヤマハ発動機の渡部克明取締役は「自前で造り続ければ、
50ccスクーターの事業が成り立たなくなる段階まで来ている」と危機感を募らせる。
かつてのライバル同士による提携は、一世を風靡したバイク文化の凋落ぶりを如実に示
している。 東洋経済より引用
じのさん所有のヤマハ「パッソーラ」10年程前に不動車をレストアしました。
ホンダ対ヤマハの熾烈な争い
1976年、自転車感覚で気楽に乗ることのできるホンダ「ロードパル」が発売。「ラッタッタ♪」
の印象的な音楽に乗ってイタリアの大物女優ソフィア・ローレンが登場するテレビCMは大き
な話題となり、狙い通りに新規購入者のうち6割を女性が占めた。若年層の支持獲得にも成功
し、国民的大ヒットへとつながった。ホンダの成功を横目に見ながら、ヤマハも1977年に原
付スクーター「パッソル」を発売。スカートをはいた女性がまたがらずに足をそろえて乗る
ことができるようにした。エンジンや駆動系をプラスチックで覆うことで、見た目もポップ
で可愛らしい印象に仕上げた。パッソルのCMに起用したのは、当時のバイクのイメージから
は程遠かった女優の八千草薫。スーパーやデパートなど、主婦層が集まる場所で試乗会を開
催した。パッソルは高校生や大学生の通学手段としても受け入れられ、原付バイクが一大旋
風を巻き起こした。
国内のオートバイ市場は1982年の年間329万台をピークに減少し、2015年に40万台を切っ
た。とりわけ落ち込みが激しいのは「原付第1種」として分類される排気量50cc以下の原付
バイクだった。日本自動車工業会の「2015年度2輪車市場動向調査」によると、2輪車所有者
の平均年齢は52.9歳。20代以下の2輪車ユーザーは1割にも満たない。高齢化が深刻だ。
ヤマハが原付バイクでの協業をホンダに打診したのは今年2月のこと。ヤマハの2輪事業の営
業利益率(2015年度)は3.1%であり、同10%をたたき出すホンダには大きく差を付けられ
ている。 柳弘之社長はかねてから「2輪事業で7〜8%超の利益率を目指す」と話しており
2016年からの新中期経営計画での重点項目である2輪車事業の収益改善を進めるためには、
不採算の原付バイクの生産撤退は不可欠だった。
いや~驚きました!若者の車離れは知っていましたが、まさか原付バイクまでとは・・・
そういわれてみれば、最近は原付バイクを見る事は少なくなったような気がしますねぇ
じのさんの高校時代は16歳になると、真っ先に坂月運転免許センターに行ったものです。
中学生の頃、近所だった二つ年上の高校生のオネイサンが黄色いパッソーラで長い髪と
丈を長くした制服のスカートをなびかせながら走り去る姿に憧れたなぁ・・・
当時はまだノーヘルOKな時代でしたが、やがて原付もヘルメットの着用が義務になり、
高校では原付免許の取得を禁止するようになりました。そういった背景も若者の原付離
れに影響しているんでしょうねぇ 「HY戦争」とよばれたホンダとヤマハの販売合戦が
激しさを増していった1980年代、ヤマハのパッソルVSホンダのタクトを筆頭に両社は
立て続けて新型車を投入し乱売合戦を繰り広げ、過激な値引き競争へと発展して行きま
した。その当時、将来ヤマハとホンダが原付バイクで提携することを誰が予想したでし
ょうか・・・
そして本日の朝刊では、
「トヨタとスズキ提供へ」の見出しが・・・
画像はスズキ「フロンテ」800
昭和41年11月22日発行「週間プレイボーイ」創刊第2号の広告より
豊田社長は「情報技術を中心に、自動車産業を巡る技術競争はこれまでにない
スピードで変化している」と述べ、他社にも提供を呼びかける方針を示した。
鈴木会長は「めまぐるしい状況の中、私どもが(技術などを)共有しないと
生きていくことはできない」と強調した。反面、「独立した企業として経営
する覚悟は変わらない」とした。