llllllllllジャスピンコニカ KonicaC35AFlllllllll
「ジャスピンコニカ」という言葉を聞いた事があるでしょうか?
世界初、「自動焦点調整機能」付きカメラ
今では当り前となったオートフォーカスの採用で日本のカメラ史に名を残すカメラです。
ジャスピンコニカの愛称で親しまれたKonica C35AF 1977年(昭和52年)発売
小西六写真工業ではジャスピンコニカが発売される2年前に、世界発ストロボ内蔵の
ピッカリコニカKonica C35EFを発売し、爆発的な人気を得ました。
このカメラの誕生により、ストロボ内蔵カメラが主流となって行ったんですねぇ
当時のイメージキャラクターの井上順さんがストロボ屋さんごめんなさい!とカメラ
の上で正座して謝っている広告が印象深かった。
意表をついた発想で開発に着手しました。ピント合わせに悩まされ、ピンボケ写真
にガッカリしていたアマチュアカメラマンにとって、覗いてシャッターを押すだけ
というカメラの登場は、まさに夢のようなカメラだったに違いありません!そして
井上順さんがテレビCMで放ったピンボケさんさようなら・・・というフレーズは、
この年の流行語にもなったんですねぇ
裏蓋を開けると、お約束のサクラカラーのシールが貼られています。
何か他のカラーフィルムを使っちゃいけない様な威圧感が・・・(笑)
当時は付属品として、こんなレンズも開発されていたんですねぇ
スマートに写せるコニカオモシロレンズとは・・・?
要するにポッチャリ系の女性をスマートに写すために開発されたと・・・(笑)
オモシロレンズを装着するとこんな感じです。
このカメラは女性ユーザーも多かったから、女性心理をついた商品だったんですかねぇ
ジャスピンコニカは、当時の技術者達の執念と努力の積み重ねによって開発されました。
その辺の所は、NHKのプロジェクトX「誕生!人の目を持つ夢のカメラ」として番組でも
放送されていたので、ご存知の方も多い事でしょう。 発売価格は44.800円で、当時の
一眼レフにも匹敵する程の高額なカメラだたのですが、2年間に100万台を超える売り上
げを記録し、爆発的な大ヒット商品となったのでした。現在のデジタルカメラにおいても
そのほとんどがストロボ内蔵でオートフォーカス化されていることからも、このカメラの
誕生がいかに画期的なものだったかが窺い知れますねぇ・・・
ところで・・・
皆さん「カメラばあちゃん」こと、増山たづ子さんをご存知でしょうか
増山たづ子さん Tazuko Masuyam
岐阜県徳山村出身 (1917-2006)
1917年、岐阜県徳山村(現・揖斐川町)戸入生まれ。戦争で夫を亡くした後、農業のかたわら
民宿を営みながら徳山村にて暮らす。1957年徳山ダム計画が立ち上がり、村の記録を 残した
い気持ちからテープレコーダーにて村の行事や生活音の録音をはじめる。ダム計画 が本格化
する中、1977年村民運動会で写真を撮影して以降、ピッカリコニカでの撮影に年金をつぎ込
み「カメラばあちゃん」の愛称で親しまれる。1983年、徳山村を舞台にした映画「ふるさと」
(監督:神山征二郎)に協力し、最後の場面にも出演。最初の写真集「故郷-私の徳山村写真日記」
(じゃこめてい出版1983年)を出版。1985年離村を余儀なくされ、岐阜市内に転居。1987年
の廃村後も村に通い、2006年3月に88歳で亡くなるまで故郷の人々、自然、建物、祭り、風
習などを撮り続けた。その数は約10 万カットのネガと600冊のアルバムにのぼる。同9月、徳
山ダムの試験湛水が始まり旧徳山村跡地が水没。2008年、計画から半世紀を経て徳山ダムは
完成し、増山の写真は村の姿をとどめるかけがえのない記録となった。1984年エイボン功績
賞を受賞。写真集に『ありがとう徳山村』(影書房1987年)『増山 たづ子 徳山村写真全記録』
(影書房1997年)など。没後も日本各地で写真展が開催され、 近年では「増山たづ子 すべて写
真になる日まで」(IzuPhotoMuseum,2013/14年)がある。
タイトル「花盛りなのに」
増山さんはダムの中に沈む村に対して、「ふるさとがあっただけでもありがたい」
「ご先祖様申し訳ありません」と感謝と詫びの念を抱きながらシャッターを切ってい
たそうです。増山さんの写真には観る人の心に強い感動と共感を呼び起こすものが
あります。興味のある方は是非写真集をご覧下さい。図書館にもあると思います。